2011年 函館ラ・サール東京同窓会のご案内 |
2011年東京同窓会総会実行委員会 |
本年の函館ラ・サール東京同窓会を、6月4日(土)下記の要領で開催致します。
1960年4月の高校開校から51年、1999年4月の中学開校から12年になります。時代は変わりました。
母校も時代の移り変わりと無縁ではないでしょう。しかし17世紀のフランスに生まれ1960年に函館にて
引き継がれたラ・サール精神は、今なお、函館の地、そして卒業して久しいOB一人一人の心の中に、
生き続けていると思います。下記に、2010年の東京同窓会での、ラベル先生「ラ・サールとは」の
講演から引用させていただきました。
* Faith * Fraternity * Service
今年の総会では、日常生活の忙しさにまぎれて、忘れかけているかもしれない精神を振り返るべく、
昔の、そして今の函館ラ・サールの「ここがすごい!」をテーマにします。
ご多忙の中、きっと心の奥に流れているに違いないルーツを思いおこし、これからの母校、そして
各自の、これからの益々の発展を、参加者それぞれが祈念する会にしたいと、実行委員会一同で考え
ております。
当日は、加藤雄一先生、海川敏雄先生、品田義雄先生がいらっしゃいます。是非ともご参加ください。
出欠のご連絡は、4月9日(土)頃を目処にお願い申し上げます。
◆概要
○日 時/2011年6月4日(土) 14:45〜19:30
○場 所/ロイヤルパークホテル(箱崎)
○住 所/〒103-8520 東京都中央区日本橋蛎殻町2-1-1
○電 話/03-3667-1111
○FAX/03-3667-1115
○総 会/2F「春海」
○懇談会/3F「ロイヤルホールE」
○会 費/1万円(学生3千円)
◆当日のプログラム
□受 付/14:15〜 2F「春海」前にて
□総 会/14:45〜15:30 2F「春海」にて
東京同窓会会長挨拶、平成22年度の活動・決算報告、
平成23年度の活動方針及び予算の説明 ほか
□講演と企画/15:35〜17:10
「函館ラ・サールのここがすごい!」
OBの音楽家の演奏などを交えて・・・・
□懇談会の受付(総会に出席されなかった方々)
17:20〜 3F「ロイヤルホールE」前にて
□懇親会 17:30〜19:30 3F「ロイヤルホールE」にて
例年同様、下一桁同期の懇親テーブルをご用意致します。
●誰が出るか、何があるかは、当日の皆様のご協力も賜り・・・・?!?!?お楽しみに!
●その他
懇親会場受付横では、1973年頃に3D教室で11期畑山義人君が採録した、恩師の講義(大場先生、
小野先生、笹原先生、そして星川先生、沖田先生、中越先生、東郷先生、石崎先生、海川先生)のCD、
はこだてわいん、ラ・サールグッズ(ネクタイ、バッジなど)の販売も予定しております。
※なお、総会&懇親会当日は、諸般の事情によりプログラムが変更されることがあり得ること、
ご了承ください。
■問合せ先/函館ラ・サール高校東京同窓会事務局 hlstokyo@yahoo.co.jp
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| 2011年03月31日10時23分 |

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函館ラサールPTA関東支部と東京同窓会連携企画 講演会「若人にとってフロンテイアとは」 |
植木清三郎(4期) |
函館ラサールPTA関東支部と東京同窓会連携企画 講演会
「若人にとってフロンテイアとは」
日時:2010・10・30 AM10:10〜10:30
場所:文京区シビックホール4F会議室
私が、ラ・サール高校に入ったのは47年前1963年昭和38年のことです。
当時はピンク色の木造校舎で中央階段ホールを中心とした放射状の配置でそれなりに
変わった校舎と思いました。当時生物・物理実験室の上に図書館があり、普通教室6
クラス分の広さを有し、地元の中学より進学した私にとってはすごい本があるなと思
いました。その中に分子生物学の本があったことを覚えてます。ずいぶんレベルが高
いなと思いました。
今、日本の国土面積は38万平方kmですが、排他的経済水域は別紙の通り447万
平方kmと陸地の12倍の面積をもってます。これは世界第6位の面積です。ちなみに
国土は61位です。
この9月17日に東大柏キャンパス 東大大学院新領域創成科学研究科で「シンポ
ジューム日本周辺の海底熱鉱床—開発は可能か−」が開催され、参加しました。尚こ
のシンポには、今回のパネラーの1人27期の熊谷英憲氏が所属する海洋研究開発機構
が後援をしています。特に熱水鉱床については別紙の熊谷氏の2010・1・22のミニ講
演会に詳しく書かれてます。この海底資源は別紙の通り大きく3つに分かれます。マ
ンガン団塊・熱水鉱床・ガスハイドレートです。特にメタンハイドレートは1996
年時点で7.35兆m3あり、日本の天然ガス使用量の100年分に相当します。尖閣
問題でクローズアップされたレアアースもこの海底資源に多く含まれており開発すれ
ばレアアースには不足しません。中国のレアアース問題はこれで全て解決します。但
し、この前のメキシコ湾原油汚染の問題もあり、海洋開発は環境問題に十分留意して
開発する必要があります。現在の日本の技術力はこの環境問題を解決する十分な能力
を持っています。
今国の債務が800兆円を超えてますが、円高阻止のためにアメリカ財務証券を買
うのであれば、そのまま10兆円かけて海洋開発を行ったほうが現在の日本には適合
していると思われます。
当然尖閣の問題もあり、領土・領海面における軍事面より見た国土保全にも関わり
ます。約1兆円かけて空母3隻を東シナ海に浮かべることも一策と思われます。ジョ
ージワシントン型の10万tを超える原子力空母は4兆円しますが、排水量3〜5万
t程度の通常型空母であれば2500〜3000億円で可能と思われます。1隻に約
1500名が乗船しますと、3隻とすれば5000名が必要です。陸上施設にドック
等交替要員を含めれば、1万人以上の海上自衛隊員の増員となります。今フリーター
と言われる人々が150万人います。特に若年フリーターは30〜40万人いると言
われてます。彼らは学校卒業以来アルバイト等で職業訓練を受けておりません。その
平均年齢は35才近くになっています。後15年すれば50歳となります。彼らにP
C等の職業教育を学ぶ機会がなければ、貧困の再生産を行うことになるのです。よく
軍隊と言うと人殺しの面が強調されますが、軍隊には教育機能があるわけで除隊すれ
ば職業人として社会に参加できます。つまり彼らは生活保護受給者から納税者に変わ
るわけです。
もう一つの別紙に、昨日10月29日の日経の文化欄に「盛衰を語るギリシャ建築」
の記事があります。その最下段に「現代日本と二重写し」と言う部分があります。詳し
くは後で読んで下さい。
古代ローマ帝国が滅びた要因にローマ水道橋の維持が出来なくなったことが要因と
いう説があります。インフラの維持が出来なければ都市機能は崩壊してしまうと言う
ことです。ローマの最盛期には各住宅に湯水が供給され現代の生活水準と変わらぬ生
活があったようです。当然奴隷もいますが。ローマ後期になるとその技術がなくなっ
たようです。同じことはインダス文明のハラッパ遺跡の井戸跡にも見られます。古い
時代ほど石組がしっかりしているのです。新しいほど創り方が雑になってきます。
我国も昭和35年以降、新幹線・高速道路・団地・建物内部の上下水道等、アルカ
リ性が弱まりコンクリートがボロボロになる現象が生じています。このようなメンテ
ナンスをどのように行うのか。これは今後の30年間に我国に求められるものです。
設備・機能が陳腐化すれば、都市はその存在機能を失うのです。つまり、ギリシャ・
ローマの跡をたどることになります。
海洋資源はわが国の宝です。明治時代、富国強兵策を取りました。これは現在の中
国です。経済大国=軍事大国というフレーズがありますが、戦後我国はこの轍を踏み
ませんでした。むしろ加工貿易を中心とした技術立国を目指しました。これが戦後の
傾斜生産方式であり、高度成長の原動力でした。しかし1980年代当時の宮澤首相
が「我国はアメリカから学ぶものは何もない。」といって、アメリカの反日感情を生
じさせました。しかしアメリカは侮れません。その時シリコンバレーを中心にしたI
T革命を興しこれが今、世界標準になっています。さすがにアメリカは懐に深いとこ
ろがあります。
私はこれから資源立国を目指すべきと思います。エネルギー資源・海底資源は
1970〜80年当時技術的に難しいものがありました。何よりもコストの問題でし
た。原油はオイルショック前であれば1バーレル10ドル前後でした。それがオイル
ショックで30〜40ドルになりました。その後20〜30ドルで推移しましたが、
新興国の台頭にあわせ、今日100ドルです。ここまでくれば採算に合います。今円
高になっていますが、それは常に原油を買い付けなければならないという状況で、加
工輸出をしなければなりません。そのうちのエネルギー部分を自給できれば、国際情
勢に対しても選択の範囲が広がります。むしろ、国家としてのコストパーフォーマン
スを確立することになります。
今日、目的がないとか、何をしていいのか判らないと言いますが、フロンテイアと
は若人のみではありません。現在の30代・40代のビジネスマンにも、私のような
60代にとってもフロンテイアはあるわけです。丁度時間となりました。終ります。
※ 上記の植木氏の論考につきましては、東京同窓会HPの「ミニ講演会の記録」に
参考資料が掲載されております。 www.geocities.jp/hlstokyo (事務局)
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| 2011年02月12日15時05分 |

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ラ・サール師の史的背景について(2010・4・25) |
植木清三郎(4期) |
ラ・サール師の史的背景について
ジャン・バティスト・ラ・サール師(以下ラサールと略す)は1651年に生まれ
1719年に死去してます。彼の父(ルイ・ド・ラ・サール)はランスの初審裁判所
の参事をラサールが21歳の時亡くなりましたが、25年間勤めております。又、ラサ
ール自身も聖堂参事会員でもあります。尚、この会員は終身でもあり、本来ならラサ
ールが手放す性格のものではありません。当時法曹界はフランスにおける知識階級の
中心であり、又、聖堂参事会員はステイタスであると同時に領主権限を有するもので
した。(資料5)従って彼自身は外面的にも、内容的にも貴族階級といえます。この
地位における格差は現代でいえば鳩山首相と我々一般庶民の差でしょうか。当時の身
分制社会でいえば、絶対的富者に近い存在といえます。
彼の生涯については中富氏が詳細に「丘を下っていった人」の説明に書かれており
ます。ひとつ言えることは、当時のナイトの精神をラサール自身が持っていたのでは
ないかと言うことです。ノブレス・オブリージュ(F; noblesse oblige E; noble
obligation)高貴なる義務があります。財産・権力・社会的地位の保持には責任が伴
うことを意味します。この言葉はルカによる福音書12章48節「すべてを与えられ
た者は多くを求められ、多くを任された者は更に多く要求される。」の言葉がありま
す。
ラサールが自らランスの学校を卒業し、パリの神学校へ行くことで自らの責任を感
じたのかもしれません。石井先生の「丘を下っていった人」にはその決心がいつ出来
たのか書かれておりません。是非ともそれを知りたいと思います。唯、彼は上流階級
の一員として、常に人々のために何かを為すという気持ちは案外に子供の時期から両
親・祖父母より与えられし環境=神への信仰の中にあるのかも知れません。様々なフ
ランス中世の資料を揃えてみました。彼の青年期迄に受けた影響があるとすればこの
ようなフランス中世社会の構造の中に存在しているものと考えます。
日本では武士道があり「臣は、主君のために死す。」言葉があります。(葉隠)又、
仏教には「旦那」という言葉があります。インドの「ダーナ」から出ており本来人々
に施すことを、意味します。いずれにしても高貴なる義務(noblesse oblige)は仏
教国又、日本にもあります。そしてそこに神・仏への信仰があります。親鸞の「歎異
抄」2に「念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄にお
つるべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすか
されまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。」
(私は法然様を信じます。阿弥陀如来を信じ、唱えることで、たとえ地獄に落ちよう
とも、法然様をお怨みしません。)と言いております。ここに伝道する使命(mission)
があるものと思う者です。ラサールも同じ使命を持ったのではないのでしょうか。
「丘を下って行った人」は使命を持って下って行った人そのものと考えます。ラサー
ルにとってはニコラ・ロラン神父が法然でしょうか。
資料1 フランス史㈵P37 山川出版
人口の様態
ガロ・ローマ時代3〜6世紀 1200万人 ガリア全体(フランス・ドイツ)
カロリング期7〜9世紀 900万人
カペー末期(14世紀) 2000万人
15世紀中葉 1600万人
16世紀中葉 1800万人
18世紀初頭 2100万人
18世紀末 2800万人
19世紀中葉 3600万人
20世紀初頭アルザス・ロレーヌ含む 4300万人
1969年 5000万人
10〜13世紀着実に増加(中世)
14・15世紀 不作・疫病・内戦で人口の5分の1を失う
資料2 P314〜315
中世後期「危機」の時代
1310〜20〜1370〜80年
大飢饉・穀物危機 1315〜20年 天候異変
貨幣財政の危機 1335〜45年 貨幣改悪
疫病の蔓延・人口危機 1348〜80年 ペスト
100年戦争2回の経済的打撃
1338〜53年ギエンヌの戦い 1356〜80年ポワチエーの戦い
1415〜35年英仏戦争再開(ヘンリー5世・シャルル6世)
この根本的原因を天候異変(多雨と低温)に求める見解もある(石井先生)が、13
世紀迄の繁栄の反動としての開墾の行詰まり、土地の疲弊、人口過剰に基づく栄養不
良と疫病の蔓延に求める見解が一般的である。
1429年ジャンヌ・ダルク出現 シャルル7世(1422〜61年)ランスで戴冠
1431年ヘンリー6世(1422〜61年)パリで戴冠
1453年カスチヨンの戦いでフランスがギエンヌを回復
資料3 P325
中世の人口動態
全般的に見て14・5世紀が人口の減少期であったことは間違いない。フイリップ6
世即位時点(1328年)のフランス王国版図(約42.4万平方km)についてみると、総人
口は1600万人(1347年)から800万人(1450年)へと半減し、15世紀
の中葉には、人口は12世紀後半の水準に逆戻りしているのが知られる。
これは西ヨーロッパの多くの村落で14世紀初頭に比して1470年ころの所帯数が
半減しているのに符合している。都市部も農村部も同様であり、例えば都市ランスでは
2万人(1270年)から1万人(15世紀中葉)へと半減し、パリ南部のモントレー
の農村部では1平方km当たり13.6所帯(1328年)から4.5所帯(1470年)
と67%減少している。
資料4 P342
中世都市の諸制度
ランスでは大司教、聖堂参事会、サン・レミ修道院、サン・ニケズ修道院が4つの領
主であった。サン・レミの市民は6人からなるエシュバン(参審人)をもっており、こ
れらは修道院長の任命であった。バン(罰令権)は修道院長の名において2人の領主役
人、すなわちシャトラン(城代)とエシュバン裁判所を主催するメール(市長)によっ
て行使された。この者によって修道院長は市民税(毎年1戸当たり2ドニエ)などの諸税
を徴収し、商業取引を監視し、修道院に託してある度量衡を検査した。都市共同体は常
設の代表をもたず、修道院長の許可無しには、集会することも、金を調達することもで
きなかった。つまりサン・レミの市民達は農村の領主制に類似した体制に従属していた
わけである。
市民の地位も単純ではない。例えばランスでは大司教のバンに服する市民が聖堂参事
会の隷属者になり「聖堂参事会付市民」と呼ばれた。彼らはある種の負担を負い、その
排他的裁判権のもとにおかれていたが、大幅な税の免除を認められているため、人々が
あらそって求める魅力ある地位だったようである。
資料5 P370
都市の社会的構成
ランスでは、大司教の都市であるだけでなく、メロヴィング・カロリング時代の伝統
をへて、さらに王の戴冠式の儀礼の場としての伝統が過剰とも思える教会諸施設建てさ
せた。13世紀迄、全人口の12%つまり2000人以上が教会人だったのだが、その
内200〜300人が宗教的司式に従事しているだけで、その他は修道生活を送るか、
聖職碌のない多数の聖職者は俗世に入って法律関係の職などに就き妻や子供をもって生
活していた。これらは免税、市場における特権、教会裁判権の管轄への抱合などの聖職
者の特権を享受していた。ランスの聖堂参事会は市内最大の土地所有者であり、市外に
も多数の領地を所有していた。
資料6 P436
カロリング・ルネサンス 8〜9世紀
シャルマーニュはまた聖職者の知的水準を向上させるために、各地の司教座や修道院、
町や村に学校を建てるように命じ、教育の振興にも努めた。これを受けてアルクイネスや
パウルスは古代以来基礎的教養である7自由科目(文法・修辞・弁証・算術・幾何・天
文・音楽)を基本とする教育につとめている。従ってこの文化復興の動きは極めて初歩的、
教養的性格のものであったが、低い水準であったメロヴィング時代から考えれば、真の
復興であり、学芸の向上であったといってよい。
ついてこの動きはルイ敬虔王やシャルル禿頭王の宮廷に受け継がれ、更にはこれらの
宮廷で活躍した学者や、その弟子たちがおもむいた各地の修道院に受け継がれた。とり
わけアルクイネスが晩年に修道院長となったトウールの修道院はカロリング・ルネサンス
最大の業績のひとつと言うべき書体の改革(カロリング小文字)やその普及に寄与した
と言われている。そしてこれらの修道院が司教座聖堂付属学校とともに12世紀の大学の
成立まで西方文化の火を守り続けることになったのである。
資料7 P477
カロリング・ルネサンスの遺産11〜12世紀
シャトル学派
フランス中世文化の真の飛躍は11世紀後半から始まる。そしてそれは農業生産力の向
上、商業の発展と中世都市の成立、王権と諸権力の強大化といった同時代の社会的大変
動がもたらした産物であった。11世紀後半からラテン古典教育が以前にも増して重要視
されるようになるが、それは新たに勢力を拡大してきた諸侯や都市当局が文書支給のた
め、その文書局に多数のラテン語の堪能な書記を多数必要としたことや、又都市社会の
発展とともに訴訟の数が増加し、ローマ法の専門家が必要にされるにいたったことなど
の理由による。
そしてこの時期の発展に伴い、知の拠点も修道院から都市の司教座学校に移ってゆく。
同時にその教育内容にも変化が見られた。つまり修道院の学校では、聖書や教養著作、
典礼の文献が主として講じられたのにたいして、11世紀の終わりからフランス各地で勃
興する司教座学校では自由学芸、法学、医学、といった世俗的学問の著作が講義の対象
となった。そしてこの時期、特に多くの学生達が集まったのはオレルアン、シャルトル、
パリ、ランス、アンジェ、オルカールといった北フランスの司教座学校である。
資料8 丘を下っていった人 P38下
聖堂参事会員
聖堂参事会員という職は教会に昔からあった職で、この職に任命されると職碌がつき、
特別の衣服を着て聖堂内の祭壇近く(「内陣」といいます)の参事会員席に座ります。
名誉ある職ですが司教に対して評議員的な性格をもち、教区の運営に関して司教を補佐
し司教と共にその責任を負うという役職でした。そして同時に、教会の信仰が深まるよ
うに共同で1日の決まった5・6時間は祈る義務も課されており、教会の霊的な部分も
担っていたのです。
資料9 丘を下っていった人 P23上
ルイ・ド・ラ・サール1625〜1672年(父)の受けた教育
ただ、ラサールの父の時はラサール家は商家ではありませんでした。ラサールの父ル
イ・ド・ラ・サールはランスのボン・ザファン学寮という9年制の王立学校で初頭教育
を受けましたが、この学寮は9歳で入り、文法を5年、文学を2年、そして最後の2年
は哲学を学ぶという課程が組まれていました。ラサールの父は全課程を終えた後、更に
勉強を続け法官としての資格を取り、22歳でランス初審裁判所の弁護士、次いで2ヶ
月後にこの裁判所の参事になっています。
ということでラサールの父ルイ・ド・ラ・サールはラサール家から出た初めての公人
でした。彼は47歳で死去するまで25年間その職務を忠実に勤めました。
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| 2011年02月09日10時55分 |

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卒業生の皆さんに(東京同窓会へのお誘い) |
函館ラ・サール東京同窓会(函館ラ・サール学園同窓会東京支部) 会長 植木 清三郎(4期) |
今春ご卒業の皆さんは、それぞれの進路を目指してラストスパートをかけておられることと思います。ベストを尽くしてがんばってください。
さて、函館ラ・サール東京同窓会は、函館ラ・サール学園同窓会の東京支部として、首都圏および、周辺県在住の母校卒業生ならびに母校現・旧職員によって構成されております。
母校卒業生は、今や1万人を超え、そのかなりの方々が、首都圏およびその周辺で活躍されており、官界、教育、法曹、その他実業界に多くの逸材を輩出しております。
東京同窓会の活動は、実質9年目と、比較的歴史は新しいのですが、会員数約1,200名を擁し、毎年1回の同窓会総会には、同窓生300名のほか、函館から恩師をお招きし、卒業生による講演会ならびに懇親会で旧交を温めております。
この他、ミニ講演会の開催や会報の発行などを通じて、同窓会メンバーの輪を広げております。また、鹿児島ラ・サール東京同窓会との南北交流活動も大変盛んです。
今春から首都圏およびその周辺で新しいスタートを切られる皆さん、東京同窓会活動に参加して、先輩や同期との交わりの中で、将来の夢や青春の悩み事などを共に語り合いませんか。東京同窓会同窓生一同、心から皆さんを歓迎するとともに、皆さんからのご連絡をお待ちしております。
2010年東京同窓会総会・新入生歓迎会・懇親会
○日時/6月19日(土)午後3時から
○会場/ロイヤルパークホテル(箱崎、中央区日本橋蛎殻町)
○会費/新入会員は無料です。
〜東京同窓会との連絡方法〜
東京同窓会への連絡はemailで随時受け付けております。
Email:hlstokyo@yahoo.co.jp
総会・新入会員歓迎会の詳細は、3月以降東京同窓会のホームページに掲載するとともに、保護者を通じて皆さんにお知らせいたします。
URL http:/geocities.jp/hlstokyo/
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| 2010年01月30日11時22分 |

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東京同窓会総会 グリークラブOB発表会、大成功! |
函館ラ・サール高校グリークラブOB合唱団アズマシモン 佐藤秀樹(14期) |
6月20日の東京同窓会総会は皆様本当にご苦労さまでしてた。
「原点に返る!!」のコンセプトで、グリーOB会もしっかり“原点”での発表会の場が出来たと信じます。
発表会は大成功!!良かったと思います。
皆様ありがとうございました!!辻先生感謝です。
次は、50周年へ記念行事へ向けての活動になります。
よろしくお願い致します。
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植木会長の挨拶
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総会に参加してくださった林先生と中越先生
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総会の様子
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グリークラブOB合唱団アズマシモンによる大合唱
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| 2009年06月27日11時43分 |

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東京同窓会総会でグリークラブOB合唱団による大合唱を行います。 |
函館ラ・サール高校グリークラブOB合唱団アズマシモン 佐藤秀樹(14期) |
6月20日の東京同窓会総会でグリークラブOB合唱団アズマシモンによる大合唱を行います。当日練習なしでの参加は不可能と思いますので、参加希望の方は下記の練習日程に参加くださいますようお願い致します。是非お集まりください。
①ラス前練習 5月31日(日)15時 駒形中学
②GP練習 6月14日(日)15時 駒形中学です。
今回の曲目は校歌、ラ・サール賛歌、いざたて、イッツアロングウエイの4曲です。多数のご参加をお待ちしています。
グリークラブOB合唱団では、7月夏に祭りでの外部活動、10月には東京上野学園大ホールでの賛助出演を企画しておりますので、ぜひ足をお運びください。
また、現在、創立50周年に向けて記念歌作成の計画を進めています。歌詞・曲とも公募形式で行う予定で、歌詞については21年10月に決定し、曲については22年3月の決定の予定です。詳細が決まり次第お知らせいたします。
●お問い合わせ・連絡先
hlstokyo@yahoogroups.jp 東京同窓会 佐藤秀樹まで
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| 2009年05月22日17時44分 |

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東京支部の現況他 |
東京同窓会 会長 植木清三郎(4期) |
ようやく3月となりました。東京は春の陽射が明るくなって来てます。函館は未だ雪景色でしょうか。現在東京支部は会員1,200名おります。毎月第2週の金曜日に6:30~8:30迄幹事会を行い(ミニ講演会60分・定例会議60分)、終ると近くの中華料理屋さんへ行き懇親会となります。1人3,300円で行なっております。
大体少なくとも20名から多い時は30名を超えます。特に懇親会は賑々しく楽しい2時間となります。前回は最後に「It’s a long way」を歌い散会しました。この歌は我々の原点でしょうか。今年の予定は6月20日に行なう東京同窓会総会です。現在は2月26日に運営期のX9期の9期・19期の皆さんが9期桑原実行委員長の下に集まり最終原案の確認を行いました。
この3月13日の定例幹事会は全員で総会案内状の袋詰と発送です。このときは30名以上集まり、力作業となります。今回は1,600通出す予定です。その後は大体月2回ベースで参加人数の集計と呼びかけとなります。この期間中はミニ講演会は行なえるかどうか微妙となります。ともかく6月20日の総会に300名以上集めるべく活動します。又、PTA関東支部の皆さんにも参加できるよう図っております。東京支部は年1回の総会に向けてエンジン全開です。この後は少し落ち着き年末の忘年会と来年の総会に向けての準備作業が11月頃より始まります。
各種部会では音楽部会、ゴルフ部会、京王沿線の会等があり活躍しております。又、ミニ講演会については3期の後藤監事が過去5年分をまとめて冊子にしようと企画しております。OBの著作もありますが、様々な企業・業務に就かれているOBの生の声がありレベルは相当高いです。私も出来上がりを期待している一人です。
鹿児島との南北交流は1月26日に賀詞交換会があり、函館より8名参加し、この5月23日の鹿児島の総会にも参加します。又、その日は函館ラ・サールOB新人歓迎会を行なう予定です。
東京同窓会も今年は9回目となり、ようやく幼稚園を卒園し小学校中学年となりました。まだまだ発展途上です。これからも、OBの皆さんとの絆を深めるためにも、広く、長く続けることを目的にやっていきたいと思っております。ちなみに4月25日には東京で全国支部長会が開かれるとの由。東京支部にとっては大きな励みとなります。今後とも宜しくお願い致します。
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東京同窓会 会長 植木清三郎(4期)
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| 2009年03月06日16時00分 |

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2009年函館ラ・サール東京同窓会の概要が決定しました。 |
総会実行委員長 桑原康雄(9期) |
百年に一度の危機といわれる激動の一年がスタートしました。会員の皆様におかれましても様々な思いで、本年の船出をされたことと思います。さて、そんな人類の節目の年、函館ラ・サールの東京同窓会総会が、6月20日(土)に開催されることとなり、9期、19期が幹事役として、準備を進めております。
このような年であるからこそ、社会人に向けての原点である青春時代を共に過ごした同期、同窓の友人達に声をかけあって、できるだけ多くの仲間が集い、おおいに語り合っていただければと思っております。
総会実行委員長 桑原康雄(9期)
19期担当運営委員 中田吉紀(19期)
概要
○日時/2009年6月20日(土)
15:00 総会開始
15:45~ 講演と演奏
17:30~19:30 懇親会
○会場/ロイヤルパークホテル
東京都中央区日本橋蛎殻町2-1-1 tel.03-3667-1111
東京メトロ半蔵門線 水天宮前駅東京エアターミナル側出口
○会費/10,000円
○記念講演と演奏
第1部 幕田英雄氏(9期)最高検察庁検事「変わりゆく刑事手法ー裁判員制度と被害者参加制度ー」
第2部 浜田均氏(9期)「ボサノバ演奏とお話し」浜田均(ビブラフォン) 赤木えり(フルート) 古川麦(ギター・ボーカル)
○ご招待恩師/中越譲先生 林昌司先生 沖田誠先生 海老原謙吉先生
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| 2009年03月06日15時59分 |

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